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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
ラシーン(Racine)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州南東部に位置する都市。ミルウォーキーの南約40kmに位置する。人口は78,860人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕で、ミルウォーキー、マディソン、グリーンベイ、ケノーシャに次ぐ州第5の都市である。市はSCジョンソンの企業城下町であるが、ミルウォーキー広域都市圏に含まれる郊外都市としての機能も有している。 ==歴史== ルート川がミシガン湖に注ぐこの地は、先住民には''Kipi Kawi''や''Chippecotton''と呼ばれていた。1699年10月、フランス人探検家の一団が8隻のカヌーでこの地に降り立ち、交易所を開設した。この交易所はやがて小さな入植地へと発展し、フランス語で「根」を意味する''Racine''と名付けられた。時代が下り、1832年、ブラックホーク戦争の後に、この地にはニューヨーク州からの移民が集まった。1834年にミシガン湖を行き交う船の船長ギルバート・ナップは、この地に入植地を建設し、ポート・ギルバートと名付けようとしたが、その名が受け入れられることはなかった。1841年、入植地はラシーン村として正式な村になった。1848年にウィスコンシンが州に昇格すると、同年8月に開かれた州議会はラシーンの市制施行を可決した。 南北戦争前には、ラシーンでは奴隷制度廃止論者の勢力が強く、多くの奴隷が自由を求めて地下鉄道を経由し、街を通り過ぎていった。1854年、セントルイスから逃亡し、ラシーンに住み着いた奴隷ジョシュア・グローバーが連邦保安官に逮捕され、ミルウォーキーの監獄に投獄されると、100人のラシーン市民が立ち上がった。ミルウォーキーにたどり着いた群集はやがて5,000人に達し、牢を破ってグローバーを救出し、カナダへと逃亡させた。この事件がきっかけとなって、やがて1854年、ウィスコンシン州最高裁判所は1850年の逃亡奴隷法は違憲であると宣言した〔The Wisconsin Supreme Court Declares the Fugitive Slave Act Unconstitutional, 1854 . Wisconsin Historical Society.〕。 南北戦争が終わると、ラシーンにはデンマーク系、ドイツ系、チェコ系の移民が移入してくるようになった。第一次世界大戦中には、他の中西部の工業都市同様に、ラシーンもアフリカ系の労働者を大量に集め始めた。1925年頃からは、メキシコ系の移民も移入してくるようになった。 ラシーンはその初期から工業都市として発展した。初期のラシーンでは唐箕が生産された。やがてラシーンには建設機械・農業機械のJIケースや、洗剤・化学製品のSCジョンソンといった大規模な企業が興り、重工業が発展した。19世紀後半になると、ラシーンは五大湖における水運業の中心地の1つとなり、また初期の自動車産業も興った〔Clymer, Floyd. ''Treasury of Early American Automobiles, 1877-1925''. New York: Bonanza Books. 1950年〕。 1936年、フランク・ロイド・ライトの設計によるSCジョンソンの本社ビルが建てられた。このビルは1976年に国定歴史建造物に指定された〔Administration and Research Tower, S.C. Johnson Company . ''National Historic Landmark summary listing''. National Park Service.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラシーン (ウィスコンシン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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